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総合的な探究の時間を効果的に実施する方法〜教育目標の位置づけは?

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みなさんの学校では「総合的な探究の時間」を効果的に運用できていますか?

私の勤務校においては、試行錯誤しながら実施してはいるものの、職員間でその取り扱いに苦慮しています。

苦労する割には、教育効果を実感することが出来ないのです。

この現状を私なりに分析し、今後の総合的な探究の時間の効果的な実施方法について考えてみたいと思います。

 

久しぶりの更新になりますが、お付き合い下さい。

 

【目 次】 

 

 

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総合的な探究の時間は教育目標を実現させる最適の教科

私の勤務校では〜一昨年度まで

平成30年夏の文部科学省の通知で、2022年度の新学習指導要領改訂を前倒しし、平成31年度(令和元年度)からの先行実施となりました。

私の勤務校においても、平成30年度2学期から「総合的な探究の時間」に関するワーキンググループを立ち上げ、検討を始めました。

 

平成31年4月の職員会議において、校長から「総合的な探究の時間」を高校の学びの軸とし、これまでの各教科による縦割りの学びから、横に繋がり連携し、学びを深めていくことを職員全体で確認しました。

 

総合的な探究の時間を実施〜昨年度

最初の一年は試行錯誤の連続でした。

 

担当学年と担当グループが中心となり運用でしたが、学校全体のムーブメントには繋がりませんでした。

担当者が苦労し運用したものの、学年以外の人間には何が行われているのかわからない状態でした。

そして、学年の外からも知ろうとする雰囲気はなかなか生まれませんでした。

年度の始めに総合的な探究の時間は学校全体で進めること、学びの柱とすることなどを確認しました。

しかし、結果は形骸化してしまいました。

情報を発信すること、受信することいずれも弱かったのです。

 

新型コロナウイルスが原因ではない〜今年度

昨年度の反省を生かし、今年度は担当者を明確にし、学年担当を割り振り(全職員)、役割を明確にして運用を開始しました。

今年度は新型コロナの影響もあり、予定通りに進められませんでした。

特に、地域との連携については、計画が思うように進まず、計画を変更せざるをえませんでした。

しかし、総合的な探究の時間の停滞は、新型コロナウイルスの影響ではないと私は考えています。

 

停滞の原因は

では、停滞の原因は何なのでしょうか。

当初、総合的な探究の時間の目的が共有できていないだとか、新型コロナウイルスの影響も考えました。

しかし、私が辿り着いた結論は、教育目標を共有できていないということです。 

これは私の仮説にすぎませんが、このように考えると話がよく通る気がします。

 

教育目標は一人では実現できません。

チームでの運用が必要な総合的な探究の時間も同様です。

一人ではもちろん、学年や担当者だけでは探究の目標は達成できません。

 

つまり、教育目標を実現させようという雰囲気が乏しく、目標が共有されていないから、総合的な探究の時間が上手くいかないと考えるのです。

 

総合的な探究の時間は教育目標を実現させるためには最適な科目のはずです。

しかし、教育目標自体を共有できていないのです。

当然、総合的な探究の時間は上手くいかなくなります。

では、なぜ教育目標は共有されないのでしょうか。

 

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教育目標は飾りに過ぎないと思っている教員が多い

教員は個人戦は得意だが、団体戦は不得意ということが多くあります。

これは私の周囲だけかもしれませんが、生徒達のために自分の時間も犠牲にして頑張る教師は多くいます。

しかし、自分の理想は追求するが、全体の目標はそこそこという場合が多いのです。

もちろん、年度毎に目標を設定し、振り返りも行います。

しかし、作文をすることが多くあります。

学校の教育目標に沿った目標と振り返りを行い、それを繰り返します。

目標を設定するときと、振り返る時に教育目標は意識しますが、その時だけです。

後は、自分の理想に燃え、邁進するのです。

最近、随分変化してきましたが、組織の弱いところに症状は現れやすくなるものです。

 

意見の衝突は、熱意の現れではない

自分の理想に燃え、邁進すると、意見の衝突もあります。

当然といえば当然です。

教員個々人の理想を、その都度主張すれば、必ず衝突は起きます。

 

このような教員達は一見、熱血のように捉えることができます。

しかし、教育目標に添わない形で自分の意見を主張することは、学校の利益にはなりません。

時には害でしかないこともあります。

「最近の若い教師は、自分の主張もせず、傍観しているだけで、熱意が感じられない。」

などと、年配教師の愚痴として聞かれることがあります。

教育目標を意識していないからこそのことだと私は考えます。

 

教育目標という共通の目標を意識するという原点に立つ

企業では会社の計画や上司の指示は基本的に絶対的なものです。

もちろん、議論する場はあるでしょう。

しかし、会社や上司の決定は絶対です。

学校というところは、そこがイマイチ緩いのです。

それが良さでもありますが、この時代においてはもう通用しません。

限られた人的資源や予算、減ることのない仕事と社会からの要請。

学校に与えられた資源を有効にかつ最適に使わなくては、良い成果は生まれません。

良い成果を生むためには、教職員全員が一つの目標に向かわなくてはなりません。

 

「総合的な探究の時間」は教育目標を明確にし、確実に実行するためにある

もしかしたら、教育目標を明確にし、それを実行できる環境を作るために、「総合的な探究の時間」は設定された側面もあるのではないでしょうか。

もはや、かつてのように均質化された良質な人材を育成することだけを求められる時代ではありません。 

社会からの要請もあるでしょう。

おそらく、これが正解だというものは存在しないでしょう。

その中で、学校はしっかりとポジションをとり、方向性を明確にし、自分たちの特色と必要性をアピールしていかなければなりません。

そこで、当然のことながら目標を明確に設定し、それに向かい全体が進んでいく必要があります。

そのためにも教育目標の共有が必要であり、その為の具体的な方法として、「総合的な探究の時間」を効果的に運用する必要が出てくると考えます。

 

 

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