高等学校と中学校の違いは何か。
義務教育かそうでないかという線引きができます。
授業料が掛かるかどうかという区別もできます。。
修学支援制度を考えると微妙なところですが・・・。
高校に求められていることは何でしょうか。
同じ型にはめることが大切なのか
制服をはじめ校則や頭髪など、みんな同じように揃えようとするところがあります。
一昔前、高校は進路が決定さえすれば良いというところがありました。
大学合格や就職内定が決まればよかったのです。
高校を卒業し、就職さえできれば、その先は終身雇用で定年まで面倒を見てくれる時代でした。
大学へ進学すれば、就職できるかどうかは大学の責任。
就職できれば、終身雇用が待っていました。
だから統一基準の同じような規格の人材を排出していればよかったのです。
しかし、現在は就職しても終身雇用は保障されていません。
世の中は大きく変化しています。
その中で、高校の社会から求められる役割も変化するのが自然です。
みんな同じ型にはめ、同じような品質を揃えればよいという時代は終わっています。
「進路を決定」という同じような進路を実現するには、同じ型にはめて指導していくことが楽だったのは事実です。
しかし、この考え方はもう通用しません。
出る杭は打たれてよいのか
高校に限ったことではなく、学校という現場では「出る杭は打たれる」ということを暗黙の了解のうちに行っているところがあります。
もちろん学校現場に限ったことではなく、日本の特徴なのかもしれません。
しかし、これからの時代は生徒の個性をもっと受け止めていくことが求められます。
「出る杭を打つ」のではなく、むしろ生徒達の尖ったところを発見し、尖った部分を伸ばしてやるような環境が求められはずです。
学校では、統一規格で均質化したものを整えていく方が楽です。
新しい価値観を導入していくことは、教員の苦手としているところです。
学校全体でみても同様です。
学校現場において、最も必要なのは価値観の転換です。
これが求められていることだと考えます。
自分で自分の人生を切り拓く
「未来を切り拓く」
言うことは簡単ですが、行うのは難しいことです。
教員が最も苦手としていることでもあります。
変化がなければ、少なくとも現在の生活は保障されている、と考えている教員は多いと思います。
だから、なかなか変わりません。
生徒に「未来を切り拓く」力を付けてもらうには、少なくとも教員は意識を変える必要があります。
難しい課題ですが、真正面から向き合わなくてはなりません。
私の課題です。